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2024年10月4日

54歳男性が影を追う「16年前に生き別れとなった愛娘二人は今いずこ?」

2016年05月27日

 

農家の婿養子となった末の離婚

 

妻や子供と生き別れとなった男性にとって、それはある種の心の傷として深くその後の人生に付きまとうものです。まして幼かった子が歳月を経て成人したとなれば、その姿を一目見てみたいと思うのが父親の抑えきれない感情というものではないでしょうか。

 

今回の調査依頼者は上越市在住の片桐直人さん(仮名・54)。今から16年前に離婚し、当時7歳と5歳だった娘さんと離ればなれになり、その後一度も会うことなく今に至るとのことです。

 

片桐さんが重い口を開きます。

 

「私が別れた前妻・佐知子(仮名)と結婚したのは今から24年前、平成4年のことでした。佐知子は長岡市内の農家の娘で、私は婿養子として妻の実家に入ったのです。妻と知り合った時点で私は普通のサラリーマン。妻の実家は女系家族で、農業を継ぐ跡取りがいなかったことから私に白羽の矢が立ちましてね、あちらの両親いわく”是非とも婿養子に来てくれ”と。

 

そう言われて私も多少は躊躇しましたが、当時30歳で社内ではまだまだぺーぺーでしたし、正直なところ安月給に嫌気が差してもいたものですから、”マスオさんになって可愛がられるのもいいだろう”という軽い気持ちで婿入りを承諾したのです」

 

しかし見たり聞いたりするのとでは大違いなのが婿養子の身。実際に妻・佐知子さんの実家に入ってみると、毎日が想定外の連続だったといいます。

 

片桐さんが続けます。

「私の父はそこそこ大きな会社のサラリーマンであり、それなりに文化的な家庭で育てられたという自負がありますが、前妻の実家で生活し始めると民度の違いに愕然としました。

 

私が生まれ育った家庭では両親が決して贅沢をしていたわけではありませんが、それでも”せっかく食事をするなら美味しくいただきましょう”というある種の文化的な気構えのようなものがありました。

 

ところがこれに対して前妻の実家はというと、言葉は悪いですが両親ともに”メシなど食えりゃあいい”といった考え方の持ち主です。

 

たとえば前夜参列した隣人のお通夜振る舞いで食べきれずに持ち帰った、すっかりシャリが硬くなった巻き寿司があったとしましょう。

 

これを自分たちが食べる分には一向に構わないのですが、昼時に訪れたふいの来客にも“コレ、美味いから食べな”といって平気で勧める無神経さには驚きました。町っ子育ちの私には到底考えられないことです」

 

これにとどまらず、婿入りした家では風呂に入る順番が厳格に決められており、片桐さんは義理の両親よりも先に湯船に浸かることが許されなかったほか、田んぼ仕事は朝が早いこともあって「晩酌はお銚子2本まで」と決められていたといいます。

 

片桐さんは「これは大変な家に入ってしまったものだと慌てふためきました」と語るとともに、「私は元来、婿養子が務まるようなおとなしい性格ではありません。酒も飲みますし、タバコも吸いますし、少々のギャンブルもたしなみます。しかしマスオさんだってたまには麻雀で帰りが遅くなるじゃないかということで、婿養子が”気楽な稼業”ではないかとタカを括ったのが大きな誤算でした。あれは文字どおり漫画の世界で、実際のところそんな自由な行動はいっさい許されませんでしたからね」と苦笑しながら当時を振り返るのでした。

 

16年ぶりに愛娘二人の近況を知る

 

毎日我慢を強いられる片桐さんのストレスは着実に蓄積していき、それがやがて義理の両親への払拭しがたい不満へとつながっていったといいます。…続きは本誌にて

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