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2024年12月11日

吉田孝志・新潟市議の県議選出馬で宙に浮く1万票の行方

2022年12月27日

新潟市中央区で連続トップ当選の吉田孝志市議が県議選への鞍替えを表明した。同市議の得票は1万票超。候補者が乱立傾向の同区だが、次の市議選は〝新しい景色〟の中で戦われることになる。

 

吉田市議の〝新しい景色〟

 

12月18日午後5時から、吉田孝志市議(新潟市中央区選出、自民)の後援会幹部会が開催された。会場はANAクラウンプラザホテル新潟で、この日は3年ぶりに同ホテルを会場に、「吉田たかしといっしょに クリスマス・パーティー」が開催された。後援会の幹部会はこのパーティーに先立って行われたもの(別掲記事に写真)。

 

この日は本格的な寒波襲来で、幹部会に出席予定ながら交通事情から開始の時間に間に合わない関係者もいた。出席者は20人ほど。会の冒頭、吉田市議が挨拶した。

「今日はまず皆様方に日頃よりご支援、ご指導をいただいておりますことに御礼させていただいて、来春に向けての私の考えを伝えさせていただき、皆さんからご意見やらご指導をいただきたいと思い、連絡させていただきました」

 

「来春」とは、春に予定される統一地方選のこと。政令市の新潟市では、8つの区ごとに市議選と県議選が同じ日に行われる。例年4月初旬の日曜日が投開票日だ。

 

吉田孝志市議は吉田六左エ門元衆院議員の娘婿。吉田家は六左エ門の父、吉平が県議であり、県建設業協会の会長でもあった。六左エ門氏もまた父と同様に県議を務め、2期目の途中で新潟市長選に出馬。だが当選は果たせなかった。その後、小選挙区での第1回選挙となった1996(平成8)年の衆院選で初当選し、選挙区で2回、比例復活で1回と、3回当選を果たした。

 

吉田孝志市議は新潟大学の大学院を卒業後、民間企業に勤務。その後、義父である六左エ門氏の秘書となり、2007(平成19)年の市議選で初当選。現在4期目だ。同市議もまた、2014(平成26)年と、その4年後の市長選に出馬し、いずれも落選した。

 

初回の相手は4選を目指した篠田昭前市長で、三つ巴戦だった。2回目は同前市長の引退で同市議を含む4人が立候補するという乱戦。この選挙で現在の中原八一市長が初当選した。その翌年に行われた市議会の改選後に結成されたのは、「中原支持でこの指とまれ」方式で集まった市長与党の大会派、翔政会だった。

 

市長選で吉田支持だった市議らもこの会派になだれ込んだ。当の吉田市議はしばらくの間「居場所がない」といった状況で、市議会では無所属暮らし。だがその後、同市議は中原市長の与党、翔政会入りを果たし、7月に行われた同市議の後援会総会には、3カ月後に改選を控えた中原新潟市長も招かれ(写真)、かつて選挙戦でしのぎを削った吉田、中原の両氏が歓談する姿が見られた。

 

中原市長が再選された前回の市長選で、吉田市議は中原陣営の中心的存在として活躍した。これには違和感を覚えた吉田支持者もいたらしい。前出の後援会幹部会で同市議が語ったところによれば、「市長選では吉田と書いたという人もいれば、選挙に行かなかった人もいた」という。

 

市長選の最終日、中央区古町十字路で行われた中原候補のマイク納めで、その冒頭、吉田市議は、「4年前には候補としてこのマイクを握っておりましたが、今日は中原候補の応援のため、マイクを握らせていただいております」と、聴衆に訴えた。…続きは本誌で

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