ひとり勝ちを続ける新潟米価の「四大要因」
2025年09月26日
「新潟の杉と男の子は育たない」とは自虐的なアイロニーだが、新潟米菓は真逆も真逆。上位5社で米菓シェアの7割を占めるのだから、凄まじい。消極的性向と揶揄される新潟県人のどこにこれ程のエネルギーが潜んでいたのだろうか。米菓業界のトップをひた走る亀田製菓の髙木社長に謎解きを願った。(聞き手 本誌 瀬戸田鎮郎)
先駆けていた産学連携の研究成果
瀬戸田 米菓業界、上位10社のうち6社は新潟勢で占められています。他業界でこれほど新潟企業が優勢を占める業界はないでしょう。極めて珍しい現象ですが、その複合的要因にはどのようなものがあるとお考えですか。
髙木 新潟県が米菓王国と呼ばれる理由は大きく四つに整理できると思います。
第一に、言うまでもなく米どころ新潟という圧倒的な原料調達環境があります。全国屈指のコメ生産量を背景に、加工に回せる十分な供給があり、米菓メーカーは常に安定的に原料を確保できた。西日本のように米が貴重で加工に回しにくい地域と比べ、この環境は産業発展の前提条件となった。
第二に、産学の連携による研究成果がありました。1950年代に始まった新潟県食品研究所と米菓メーカーの共同研究は、職人技に依存していた製造工程を科学的に解明していきました。焼成や乾燥の時間・温度といった要素を数値化し、品質を均一化するとともに機械化を実現しました。とりわけ食品研究所長を務めた斎藤昭三氏の功績は大きい。彼は現場を回り、研究成果を直接メーカーに伝え、改良を重ねる姿勢で信頼を得た。
こうして「勘の世界」だった米菓製造は「科学の産業」へと進化し、新潟米菓全体の技術水準が底上げされた。研究センターには当時、多くの若い研究員が集まり、メーカーと共に深夜まで試験を繰り返したと伝えられています。その地道な積み重ねが、今の産業基盤を形づくったのです。
第三に、せんべいとあられ・おかきを並行して製造してきた点が挙げられます。関西ではおかき、関東ではせんべいと地域ごとに傾向が分かれるなか、新潟では両カテゴリーを横断的に扱ってきた。

これにより市場の需要変化に柔軟に対応でき、総合力を高めることにつながりました。あられ・おかきとせんべい、その両方の製造技術を蓄積してきたことが新潟の独自性を形づくったのです。
第四に、創業者世代の開放的な協業精神があります。亀田製菓創業者の古泉栄治氏をはじめ、先人たちは製造や物流のノウハウを業界全体に広く共有しました。
例えば効率的な流通システムや卸売業者との連携の工夫は、他社にも惜しみなく伝えられました。その結果、県内の複数企業が一斉に成長し、地域全体として強固な競争力を持つようになった。協業は単なる友好的関係ではなく、「一社だけが伸びても業界全体が育たなければ意味がない」という信念に基づくものでした。だからこそ、売り場で競い合いながらも舞台裏では知恵を出し合うという、新潟独自の産業文化が根づいたのだと思います。
この四つの要因が複合的に作用し、新潟は「米菓といえば新潟」と言われるまでの地位を築いた。単に米どころというだけではなく、科学的研究、カテゴリー横断、協業文化という独自の積み重ねが、今日の米菓王国の礎となっているのです。…続きは本誌で













