いまさら聞けない「参議院」ってナニ?
2025年07月27日
本稿執筆時点で参院選の結果は分かっていない。与党の苦戦、野党の躍進―。戦前の予測どおりの結果になったのかどうかは、残念ながらお伝えできない。ところで、日本はなぜ二院制なのか。戦前は三院制だった⁉ 戦後は一院制になるかもしれなかった⁉ 参院の事実上の小選挙区化は好ましくない⁉ など、存在感では劣る感が否めない参院の存在意義を〝講義〟してもらった。
戦前は「三院制」だった⁉
7月20日の投開票日と、発売日の都合で貴誌の〆切が同じ日というのは、ずいぶん意地悪な日程ですね(笑)。開票結果については紙幅を改めるとして、今回は「参議院とは何か?」について、少し視点を広げて考えてみたいと思います。
現在の日本は二院制です。言うまでもなく衆議院と参議院です。任期4年、被選挙権は25歳以上、解散のある衆議院。任期6年、被選挙権は30歳以上、解散のない参議院。これは教科書で習った内容でしょう。
戦前の明治憲法下も二院制でした。衆議院と貴族院です。衆議院は25歳以上の男子による制限選挙で選ばれ、解散のある4年任期。貴族院は、華族・皇族・勅選議員などで構成され、任期は7年から終身まで、解散はありません。立法において両院は対等で、現在のような「衆議院の優越」は制度上存在していませんでした。
ここで注目したいのが、戦前に存在したもう一つの重要機関、枢密院(すうみついん)です。
枢密院は、衆議院や貴族院のように法律を議決する議会ではありませんが、天皇の諮問機関として大きな影響力を持っていました。特に、憲法や
条約、重大な国策について、天皇が最終的な決断を下す前に、「お伺い」を立てる場所だったのです。
たとえるなら、枢密院は天皇の「極秘相談チーム」でしょうか。そして、最近の研究によると、天皇が決裁書に裁可を与えず、〝塩漬け〟という形で事実上の拒否権を行使していた事例もあったようです。形式上は「主権者=天皇」でしたが、政治のリアルな意思決定過程は意外と複雑だったわけです。
このように考えると、明治憲法下の日本は、名目上は二院制でも、実質的には「3つの意思決定機関」があったとも言えるでしょう。
戦後、日本国憲法の草案を進める中で、GHQ(連合国軍総司令部)は当初「一院制」を提案していました。
アメリカ自身は二院制を採っているものの、それは「連邦制国家」だからです。アメリカには50の「州」があり、それぞれが独自の憲法、法律、州知事、議会を持ちます。つまり、「国の中に50の国がある」とも言える体制で、各州が強い自治権を持っています。
アメリカの二院は下院と上院です。下院は日本の衆議院に相当し、上院は参議院に相当します。定員は、下院が人口に応じて各州に配分し、上院
は州という単位を平等にみなしているため、各州2名ずつ(人口不問)です。
終戦時の日本は、連邦制ではなく中央集権的な体制でした。都道府県は、ほとんどが中央政府の下請け的な役割で、州のような独立性はありませ
んでした。地方自治が整備されるのは戦後しばらく経ってからの話です。

つまり、「地方の代表」としての上院は機能しない。全国民の代表として衆議院があれば十分ではないか――そうGHQは考え、一院制を提案したのです。…続きは本誌で













