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2020年10月25日

東大合格者70年で1800人 本県大学入試の軌跡

2020年09月26日

1950年以降、これまでの70年で本県から東京大学に合格した人数は約1800人。1年で約1000人の合格者を出す東京都であれば、2年で達成する数字だ。本県の最多合格者数は1954年の48人。以来、大学進学を志願する者、実際に進学する者は増えたのに、東大合格者数は48人を上回れない。その要因を含め、本県教育の70年間をザックリと辿ってみる。

 

進学率は長らく最下位に低迷

 

本県教育の軌跡を真剣に70年も振り返ろうと思ったら、ボリューム的にはきっと1冊の単行本になろう。検証に費やす時間も膨大になろう。いまはその余裕もないので、あくまで簡易的な検証に留まることをご了承いただきたい。

 

早速、表Ⅰをご覧いただきたい。1950年以降の本県東大合格者数を10年単位でまとめたものだ(※1)。70年で延べ1972人の新潟県人が東大に合格した。今や東大合格者数第1位が指定席になっている開成高校(東京都)が、過去70年間に東大文Ⅰに合格者を出した数(1932人)に匹敵する。

 

「県計」を見ると、1950年代が325人と最多で、段々と少なくなっていくのが分かる。2010年代はこれまで最少の216人だった。

 

多くの合格者を出しているのがいずれも県立の新潟、長岡、高田の各高校。県内御三家とかトップ3などと言われる所以だろう。

 

今でも地域の進学校と言われている高校が上位に名を連ねている。三条、柏崎、新発田、佐渡、十日町、六日町、小千谷、新津、村上…。
かつて、本県の高校入試は学区制を設けていた。公立の普通科は、自身が住む学区内の高校しか受験できないという縛りがあった。これら高校は、学区内トップの進学校であり、卒業するとエリートなどと持て囃されたものだ。

 

1950年代を見ると、今では進学校だと誰も思っていない高校から東大合格者が出ている。

 

「1960年代以前は、旧制中学・女学校由来の普通科高校に加え、都市部にしか工業・商業がなかったため工業高校・商業高校もそれ
なりにエリートでした。村松、中条、水原といった高校は今や完全に没落しましたが、その当時は地元のエリートが行く学校なので、満遍なく東大合格者が出たわけです。なお、大学入試の対応は学校が主導するものではなく、個人の責任でした。大学入試データの情報化などもない時代でした」(校長経験者)

 

極めて小さくなり、見づらくて恐縮だが、次に表Ⅱをご覧いただきたい。

 

いずれも本県における各年の東大合格者数に加え、人口1万人当たり東大合格者数、卒業生数、進学者数、さらには大学進学率の順位と全国の進学率、1976年に法制化された専門学校の進学率と順位、全国の進学率を一覧にしたものだ(※2)。これをグラフにもしたので参考にして欲しい。

 

進学率の集計がある1955年以降、本県のそれは長らく10%台を推移するが、全国的にも10%台の年が続いた。それでも本県の順位は30位台後半から40位と低迷していた。

 

1969年に本県はついに全国最下位となる(沖縄返還の1972年までは46都道府県で集計)。初めて20%を超えたのが1973年。上昇気流に乗るかと思いきや、1982年に再び20%を割り込む。気が付けば全国平均とは10ポイント以上も離されていた。1963年から1994年までは、ほとんど全国最下位と言っていい。実に20年以上も底辺に沈んでいた。…続きは本誌

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