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2024年05月20日

越山会元支部長が語る、“田中角栄時代”のダイナミズム

2012年11月26日

衆議院が解散し、「師走選挙」に向けて各党が一斉に走り出した。誤った「政治主導」は、政府の機能を大幅に低下させた。今こそ田中角栄元総理のような強い意志とそこに直結する行動力を有する政治家が必要なのではないか。

 

「よし、ワカッタ!」と夢を現実に

 

本誌11月号の「田中角栄待望論」を読んだという方から電話があった。「毎月、貴誌を購読しています」と言った。長岡市三島谷に住む山田誠一さん(85)である。「矢も盾もたまらず電話させてもらいました。私の記憶に残っている田中先生の思い出と、越山会の話を聞いてほしい」と山田さんは言った。

 

山田さんは、昭和3Ⅰ年に越山会に入り三島谷地区の支部長として活躍した。昭和36年、田中角栄が自民党政調会長になり、昭和49年に金脈問題を引き金として退陣するまでの13年間こそ、越山会にとってはわが世の春であった。

 

昭和2年生まれとは思えないほど顔の色艶がよく、声にも張りがある。お菓子のおまけに付いている玩具を製造販売する(株)ヤマキ(本社・千葉県松戸市)の会長をつとめている山田さんは、現在もバリバリの現役だ。

 

「田中先生の秘書の本間幸一さん(故人)のお誘いを受け、東京の目白御殿に連れて行ってもらったのが越山会に入るきっかけです。その後、10回以上は、夜行列車やバスをチャーターして目白御殿に伺いました。そのたびに先生のご尊顔を拝し、長岡や柏崎の話に花を咲かせましたて。先生が長岡へ帰られたときは、必ず三島谷に立ち寄られました。

そのころ、地元から“トンネルを掘ってほしい”という話が持ち上がりましてソ。長岡から田中先生の生家のある西山町坂田へ抜けるには三島谷を通るのが最も近道なのですが、毎年のドカ雪で道路が傷んでいて車も人も通りづらい。早いとこ、安心して山越えのできるトンネルを作ってもらいたい。そう頼み込みましたら、例の、“よし、ワカッタ”を連発してソ。それがただの生返事ではないのは、その場で、傍らの秘書に、建設省の誰それに電話しろ、ちゅうふうに命じてくださる。長岡から夜行列車で目白御殿にやってきてのたった3分間だけども、その後、この命令は確実に形になって返ってくるから、私ら、たっぷりと充実感を味わえたわけです。それから間もなく、トンネル工事が本決まりになったと目白の政務担当秘書の山田泰司さんから連絡がありました。めでたくトンネルが貫通した途端に、三島谷の全世帯の66軒がすべて越山会に入りました。新潟の本間幸一さんが国家老なら、さしずめ、山田さんは江戸家老。当時、山田秘書は、新星企業ちゅう田中系の会社の代表取締役をやっておられた。その山田秘書が、越後入りすると、2週間ほどかけて、こまめに地元の陳情を聞いて回りなさる。それを地元では“越山会査定”と呼んだソ。山田秘書は受けかねる陳情はハッキリと駄目と言われたが、可能なものについては“この件には1千万円つけましょう”と明言されました」

 

そのとき受け付けられた陳情一覧は、目白御殿で濾過され、ほどなくその年度の予算として地元に下りてきた。それを見て山田さんは魔法にかかったような気分になったという。…続きは本誌にて

 

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