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2019年08月25日

実質は解任だった⁉ 三幸製菓前会長”辞任”の真相

2019年07月26日

米菓業界のトップは言わずと知れた亀田製菓。そこに肉薄する勢いなのが業界№2の三幸製菓だ。創業から半世紀余、ゼロからのスタートでトップを脅かす地位にまで登り詰めた。圧倒的なパワーでここまでけん引し続けたのが、実質的な創業者で前会長の佐藤富一郎氏。まさに米菓業界のカリスマ的存在だ。3月、同前会長が「役員を辞任した」と伝えられた。だがその真相は「画策された解任だった」との指摘が浮上している(一部敬称略)。

 

米菓のカリスマ経営者たち

 

今さら言うまでもないが、新潟県の米菓出荷額は約2千億円(平成28 年)、国内シェアは50%超と、断トツの1位だ。県内には売上高(平成29 年)で業界トップの亀田製菓(新潟市江南区、737億円)を筆頭に、2位の三幸製菓(新潟市北区、500億円)、3位の岩塚製菓(長岡市、216億円)など、米菓メーカーがきら星のごとく存在する。これら上位3社に続くのが栗山米菓(5位、新潟市北区)、越後製菓(10位、長岡市)、阿部幸製菓(13位、小千谷市)、ブルボン(14位、柏崎市)など。

 

米菓業界だが、伝説的なカリスマ経営者を多く輩出している。その筆頭は何といっても亀田製菓の創業者、古泉榮治(故人)だろう。昭和21(1946)年、水飴の委託加工から始まった同社を、30年足らずで米菓売上日本一(当時165億円)に成長させた。

 

それを支えたのが米菓を大量生産するための科学的な技術だった。これによって米菓の製造は初めて職人の経験と勘から脱却することが可能になった。その基礎を築いたのが加茂市にある県の食品研究所(食研、現在の県農業総合研究所 食品研究センター)で技師、所長を務めた斎藤昭三氏(故人)。新潟の米菓や包装餅が今日を成したのは、同氏と食研の業績に負うところ大だ。

 

業界3位の岩塚製菓だが、亀田製菓より1年遅く、平石金次郎、槇計作(いずれも故人)が共同で水飴、澱粉、カラメル等の製造を開始したことに始まる。同社にはかたくなに守りとおしている創業者の精神がある。それが、「よい材料が味をつくる。それ以上の味と品質は作り手がつくる」というもの。

 

栗山米菓では看板商品の「ばかうけ」が今やブランドとして立派に確立した。米菓に〝鮮度〟という概念を初めて導入したのが越後製菓で、業界に「流通革命」を興した。阿部幸製菓は業務用「柿の種」のトップ企業。総合菓子メーカーのブルボンはマーケティング力で強みを見せる。かくの如く県内の米菓メーカーはいずれも個性派揃いだ。

 

余談だが、ひときわ異彩を放つ経営者に、ブルボンの3代目社長、吉田髙章(昭和3年生、故人)がいる。この吉田のことを「同年代の盟友」だった栗山米菓の2代目社長、栗山清(昭和5年生)が語った記録が小誌に残っている。

 

ブルボンは元々がビスケットの製造でスタートした。昭和30年代に吉田髙章が新しい製造機、「バンドオーブン」を導入した際の話だ。チェーンオーブン式の従来型に比べ、4倍の生産能力があった。以下は栗山清談。貴重な歴史の証言なので、ここで紹介したい。

 

「ブルボンの吉田高章がよく言っていたよ。〝バンドオーブンを入れるも地獄、入れぬも地獄〟と。導入しなければ生産性が上がらず競争相手に負ける。さりとて入れれば生半可の生産量じゃない。どう売るかの考えや手腕がなければ潰れるだけだ。そのためにどうするか? 吉田高章は真剣に考えたんです。

 

ヨーロッパやアメリカの例を調べ、大量にできたビスケットをどう売るか、その仕組みをどうつくるかに心血を注いだ。我々(米菓メーカー)はビスケットを作っているわけではないが、大量に売ることについてどうしなければならないか、吉田高章の姿を見ていれば自ずと分かったんです。…続きは本誌に

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